広告は、人間にとって、刺激のひとつです。
だから、「刺激」について、勉強してみたことがあります。
刺激域について
刺激があまりに弱すぎると、何も感覚は生じません。
例えば、聴覚においては、30歳を超えると聞こえなくなる域の音があります。
それがモスキート音です。
残念ながら、わたしは聞こえません。
蚊の飛ぶような音なんですが、小学生に聞かせると「聞こえる」と言うものの、
大人が聞いても「何も音はしていない」と言います。
不思議な音です。
この、感覚が生じるか生じないかのぎりぎりの物理的な刺激強度のことを、【刺激域】といいます。
ある強度を境にして、まったく感覚が生じなくなる刺激強度を閾値といったりもします。
刺激頂(しげきちょう)
さて、刺激域とは逆に、刺激の強度が強すぎて、これ以上強くしたら、正常な感覚が生じなくなったり、感覚の大きさが変化しなくなるような刺激強度の限界を、刺激頂といいます。
例えば、聴覚などは刺激頂を超えると聴覚は生じなくなり、痛覚が生じるようになります。
音がでかすぎるのは不愉快であり、うるさすぎる音は、耳が痛いと感じるわけです。
弁別閾(べんべついき)
さらに、2つの刺激の強度についても、その違いがあまりにも少ないと、2つの刺激の違いを感じることが出来ません。
この違いを区別できる最小の刺激差のことを、弁別閾といいます。
例えば50gと51gは違いがわかっても、1000gと1001gは違いがわからないっていうわけです。
つまり、弁別閾(刺激差)は、もともとの刺激が強くなればなるほど、大きな弁別閾となります。
しかも、それは比例することがわかっています。
これをウェーバーの法則と呼ばれてます。
さて、広告と刺激について
広告も刺激です。
つまり、刺激域の考え方からすると、弱すぎる刺激は効果ゼロということになります。
広告は刺激域を超えないと、単なるゴミとなり得るんです。
次に、刺激頂の考え方からすると、ある一定の刺激を超える過度な広告は、違うネガティブな感覚を引き起こすということになります。
テレビを見ていて、テレビCMが3回連続で流れるとイラっと来るのは、それでしょうか。
ネット上で見かける「1回塗っただけで顔のシミが全部落ちた!」みたいな、薬機法ガン無視の広告を見ると、不愉快な感じになるのも、これかもしれません。
さらに、弁別閾の考え方からすると、ある広告との違いを明らかにするためには、相手の広告の刺激の強さによって、差異をコントロールしないと違いが伝えられないといことになります。
競合が刺激的な広告を出しているのなら、こっちも更に刺激的な広告を出さないといけないという理屈です。
弁別閾を超えたり、超えなかったりの、広告の具体的な例を考えてみますと、、、
①ある自動車メーカーの広告で、競合他社の同じクラスの車と比較して、燃費が良いという印象を与える広告。リッター15キロが競合ライバルなのに、こっちはリッター15.5キロ。
差が伝えられずに、広告がぼやける。
②ある味噌メーカーの広告で、競合他社の商品と比較して、品質が良いものであるという印象を与える広告。「国産大豆使用」と書かれているのと、「国産大豆100%使用」と書かれているのは、違う。よく見ない人は買ってしまうよね。
ただ、広告の弁別閾は、広告を出している量によっても影響を受けるため、競合他社の広告量が多すぎる場合には、それを超えることが難しくなることがありそうです。
広告を「刺激」として考えてみると、腑に落ちることもたくさんありました。