粋であることを目指しても、どうしても野暮が漏れ出す。
営業の場で、ゴリゴリに売込みが出ないようにしたり、押しつけがましさを控えたり、出来るだけ気をつけている。
けれど、気づけば野暮が漏れる。
言わなくて良い事を、おせっかいに言ってみたり、
講演をビデオ撮影してる客に、つい、ケチ根性で注意してしまったり、
後になって「ああ、あれは粋じゃなかったな」と思うことばかりだ。
粋でありたいと目指そうとはしている。
やりすぎない、でも足りなさすぎない。
その絶妙な間合いの中にある、日本に古くからある美意識。
粋でありたいと願うのだが、 結局のところ、私自身は「粋でありたいと願いながら、野暮ばかり抱えて生きている」のだと思う。
数多くの経営者と出会ってきたが、私を含めて、経営者というのは、みな、飄々と格好つけてはいるけれど、野暮ばっかり抱えて生きているんだと思う。
まあ、「粋でありたいと目指す」事を、
こうして文章にして世にさらす事自体、 なんだかな、だ。