文章の技法をまとめていて気付いたこと

文章の技法をまとめていました。

 

すぐに、「良い文章とはなに?」にぶち当たる。

文章の技法というのだから、「文章を悪くするための技法」であるわけがなく、この技法ってのは、「文章を良くする」技法であるというのが前提にある。

 

これは言い換えれば、「良い文章にするための技法」という事になるわけだ。

 

ここで悩んでしまった。

 

良い文章?なんだそれ?

私にとって良い文章は、他の人にとっての良い文章とは違うはずだ。

 

三浦しをんさんは、文章は温度だと言っている。

上野千鶴子さんは、文章は論理・構造だと言っている。

山田ズーニーさんの本も読んだけど、文章はこころの交流だ、正しいより伝わることが大事とおっしゃる。

 

こりゃまずい。わけわからんようになってきた。

作曲で考えたらわかりやすいか。

 

例えば、「米津玄師さんの作曲技法」とまとめても、それを学んで作曲しても、米津さんっぽくなるだけで自分を表現する曲にはならないかも知れない。

学ぶ価値が無いとは言わないけれど、そのままでは、誰も使えないものなのだな、と気づいた。

まあ、いい。まとめる価値が無いわけじゃない。

 

だとすると、わたしなりの文章技法をまとめて体系化することは、自分を理解することでもある、ということになる。

自分自身が、自分をどのように表現するか、また文章によって他者とどのように関わろうとするのか、そのあり方を体系化するということだ。

文章技法をまとめるということは、わたしの思考の癖・世界観・他者との距離感が浮かび上がるということか。

 

あーこわい。

 

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