20年続く「空白」の正体 ― なぜ、暇になると仕事がやってくるのか
経営コンサルタントとして20年以上、不思議なサイクルが続いている。
長年伴走してきたクライアントさんから「そろそろ卒業します」と連絡が入ることがある。
それは決してネガティブな別れではなく、共に、一定の成功に到達し、役割を全うしたというひと区切りだ。(実際、数年後にリピートのご依頼をいただくことは本当に多い)
すると、私のカレンダーにはぽっかりと空白が生まれる。
長年、特定の曜日はその企業のために開けていたのだから、当然、物理的に「暇」になる。
普通なら、この空白に不安を感じ、すぐに新しい案件で埋めにいこうとするはず。
しかし、私はあえて、その場を空けたまま「空白」を、ひとまず受け入れてしまうことにしている。
すると、まるでそのタイミングを測っていたかのように、新しいクライアントさんから問い合わせが入る。営業をしたわけでもないのに、「なぜ今?」と思うほど、絶妙なご縁が向こうから扉を叩いてくれる。
この20年で、私の確信。これはスピリチュアルな話ではない。
執着を手放し、場を空けることで、私の発言や振る舞いに無意識の「隙」が生まれているのだと思う。
それは「良い意味での余裕」と言い換えてもいい。
思えば、スケジュールが埋まり、心に余裕がない時の自分は、無意識のうちに「早く結論を出そう」「効率的に動こう」という焦燥(圧)を外に発信しているはず。
メールの返信は短くなり、雑談の「間」は消え、相手の話の先を急かしてしまう。
そんな切迫した空気は、潜在的なクライアントさんに「今は頼みづらい」という心理的な壁を、無意識に伝えてしまっていたはずだ。
一方で、「空白」をひとまず受け入れてしまった私は違う。
Facebookや、ブログ、メールの言葉選び一つとっても、どこかゆったりとした響きを帯びてくる。
既存客との何気ない会話でも、相手の話をより深く、丁寧に聴くことができるようになる。
この微細な変化を、クライアント候補さんは驚くほど敏感に察知してくれている。
「今、この人に相談したら、自分の抱える難問にじっくりと腰を据えて向き合ってくれそうだ」 そんな直感が、彼らの背中を押し、問い合わせという形になって現れているのだと思う。
「今の自分なら、新しい質の問いを、大事に聴くことができる」
「次の方のための席は、今なら十分な用意ができる」
そんな、言葉にならない**「受け入れ体制(キャパシティ)」**が、空気感として滲み出す。
空白を恐れず、ひとまず受け入れてしまう。
そうやって空気感として滲みでるのを許して、ただ、そこに在るようにする。
「忙しすぎる人には頼みづらいが、暇すぎる人には頼みたくない。一番頼みたいのは、一流の仕事をしていて、かつ『今、ちょうど余裕ができ、新しいことを始められる、始めたいと思っている』人である。」
こんな感じなのかな、と思う。
