博報堂生活総研の『生活者の平成30年史』という本を読んだメモが出てきました。
本の中に、「常温社会」という言葉が出てきました。
おー、うまいこと言うなあ、と思いました。
熱くもない。
かといって、冷え切ってもいない。
昭和の頃みたいに、
「もっと豊かになりたい」
「もっといい車に乗りたい」
「もっと大きな家に住みたい」
「人よりいい暮らしがしたい」
と、成功者を目指すわけでも、上を目指して熱くなるわけでもない。
かといって、
「もう日本は終わりだ・・・がーん」
と絶望しているわけでもない。
別にユニクロで困らない。
百均に行けば、だいたい何でもある。
コンビニは便利だし、スマホ一台あれば暇つぶしにも困らない。
無理して高いものを買わなくても、そこそこ快適に暮らせる。
だったら、無理して上を目指さなくても、えーやん。
人からどう見られるかより、自分が納得できればいい。
大きな夢より、今の暮らし。
世間体より、コスパのが大事だろ。
平成の30年間をかけて、日本人はそういう「ちょうどいい温度」を見つけた。
それを、この本では「常温社会」と表現しています。
なるほどなあ、と思いました。
たしかに、そうだと思う。
ただ、読んでいて、ひとつ気になったことがあります。
平成から令和、この先もずっと、「常温」でいられるんだろうか?
ということです。
平成の時代に「身の丈でいいじゃん」と言えたのは、実は、身の丈でじっとしていても、それほど困らなかった環境があったからじゃないでしょうか。
日本は長いデフレがあった。
モノの値段は、それほど上がらない。
給料も上がらないけれど、生活費もそれほど上がらない。
電気もある。
水道もある。
治安もいい。
コンビニもある。
医療もある。
百均もある。
つまり、
「何もしなくても、そこそこの暮らしが維持できる」
という、かなり頑丈な岩盤床の上に立っていたわけです。
ところが、その床が、ちょっと怪しくなってきた。
物価は上がる。
エネルギーも上がる。
社会保障の負担も増える。
異常気象もある。
地政学的なリスクもある。
そしてAIが出てきて、仕事そのものまで、これからどうなるか分からない。
要するに、
立ち止まっていても、同じ場所にはいられない時代になってきた。
頑丈な岩盤床どころか、下りのエスカレーターに乗っているようなものです。
本人は何もしていない。
贅沢もしていない。
無茶もしていない。
昨日と同じように暮らしている。
それなのに、少しずつ下がっていく。
これ、けっこう怖い話なんです。
「足るを知る」とか、
「身の丈に合った暮らしでいい」とか、
私は、そういう考え方は嫌いじゃありません。
むしろ、いいと思う。
ただ、これからは、常温でいるために、動かないといけない。
別に金持ちになりたいわけじゃない。
勝ち組になりたいわけでもない。
人より上に行きたいわけでもない。
ただ、今くらいの暮らしをしていたい。
それだけなのに、そのために勉強して、働き方を変えて、AIも使って、資産についても考えて、世の中の変化についていかないといけない。
そんな時代になってきた気がする。
