天の布置(その8)最終回

天の布置(その8)

過去の点と点を、一本の線にする(過去は変わらないが、意味は変わる)

「過去に起きた事実は変わらない。」

これは、その通りです。

起きた出来事そのものは、変わりません。

失敗したこと。
断られたこと。
会社を辞めたこと。
病気になったこと。
大切な人との別れ。
チャレンジしたこと。
人と出会ったこと。
遠回りしたこと。

それらは、すべて過去の事実であり、起きた事実は変わりません。

 

でも私は、

その出来事の意味は、あとから変えられる。

そう思っています。

あの頃は、不運だと思っていた

人生を振り返ると、「あのときは最悪だった。」と思う出来事があります。

でも、十年後に振り返ると、
「あれがあったから、今があるよな・・・。」
と思うことがあります。

あの出来事が、新しいビジネス上の御縁につながった。
新しい仕事につながった。新しい考え方につながった。

その瞬間は不運だったものが、あとから見ると、大切な伏線になっていたりするのです。

人生は、あとから一本の線になる

私は、このシリーズで、

「種を蒔く」

「越境する」

「内軸を持つ」

「YESと言う」

「アンテナが立つ」

「1つの経験を、複数の未来の種に変える」

という話を書いてきました。

実は、これらはバラバラではありません。

時間が経つと、一本の線としてつなげることが出来ます。

「あの経験があったから、この人に会えた。」
「あの失敗があったから、この考え方が生まれた。」
「あの遠回りがあったから、今の仕事につながった。」

そのとき初めて、過去の出来事は、新しい意味を持ち始めます。

 

私は、失敗を捨てない

何かうまくいかなかったときでも、

私はなるべく、「これは、どのような種のネタになるだろう。」と考えるようにしています。

ブログに書けるかもしれない。誰かへのアドバイスになるかもしれない。
営業の理論になるかもしれない。いつか講演で話す日が来るかもしれない。

今は意味が分からなくても、未来で役に立つなら、その経験は失敗ではありません。

未来へ向けた、新しい種です。

 

天の布置は、過去まで味方につける

ここまで読むと、

天の布置とは、
未来から仕事がやってくる話だと思われるかもしれません。

 

でも私は、それだけではないと思っています。

天の布置とは、未来だけではなく、過去まで味方につける生き方です。

嬉しかった出来事も。

悔しかった出来事も。

成功も。

失敗も。

すべてを未来への種に変えてしまう。過去の出来事を、1本の線にして、未来に役立ててしまう。

そういう人ほど、人生は少しずつ一本の物語になっていくはずです。

 

おわりに

私は、

「天の布置」という言葉を、

運命や神秘を説明するために使っているのではありません。

強い未来を描き、

未来へ種を蒔き、

境界を越え、

自分の軸を持ち、

勇気を持って一歩踏み出し、

経験を未来へ投資し続ける。

 

そんな生き方を続けていると、

あとから振り返ったとき、

「あれは偶然ではなかったのかもしれない。」

と思える景色が生まれます。

私は、その景色を「天の布置」と呼んでいます。

 

もしこの考え方が、あなたの人生を少しでも前向きに眺めるきっかけになれば、とても嬉しく思います。

 

 

 

追伸

「願えば叶う」と「天の布置」の決定的な違い

天の布置とか言ってるけどさ、いやいや、結局、「強く願えば叶う!」みたいな話じゃないの?
未来の強烈なイメージとか言っても、強く願えば叶うって言ってる自己啓発と同じだろ?
そう思われる方がいても仕方がありません。
でも何か違う気がします。
そこで、私なりに、なにが違うのか、よく考えてみました。
 

違い1. 願って待つのではなく、脳が「異常な過労状態」になる

単なる「願って、あとは宇宙におまかせ」的なスピ系と、これは違います。
未来のイメージ(例:本を出版して著者になる)を置いた瞬間、脳のレシーバーは「それを実現するためのヒントを、24時間体制で死に物狂いで探し続ける過労状態」になります。
街を歩いていても、カフェで雑談している人の会話が耳から入ってきても、新幹線で移動していても、「これは使えるか?」「あれと繋がらないか?」と、脳がバックグラウンドで猛烈な高速演算(構造化の超高速回転)をし続けています。
つまり、叶っているのは魔法によってではなく、「未来のイメージによって、脳の検索・演算能力が極限までブーストされた結果」です。
 

2. 「はい、やります」という、吐き気がするほどの恐怖(行動)を伴う

「願えば叶う」には恐怖がありません。
しかし、実際のあなたの現実(本を出版する)では、目の前にチャンスの船が来たとき、「実績もないのに、本当に『はい、本、書きます』と言っていいのか?」という、胃が痛くなるような恐怖やリスクがあるはずです。
天の布置における「チョイス」とは、単に引き寄せて喜ぶことではなく、
「その重い打席に立ち、恐怖をねじ伏せてバットを振る(即答する)」
という命がけのコミットメント(行動)を指します。
願うだけで行動しない人には、1ミリも天の布置は起きません。
 

3. 起きた「最悪の出来事」すら、自分の腕で正解(星座)に「調教」する

スピ系の『願えば叶う』という教えは、都合の良いラッキーばかりを期待します。
 
しかし現実には、理不尽なトラブルや、未経験ゆえの大失敗など、「最悪な出来事(ゴミ)」も等しく降ってきます。
嘘くさいスピ系だと、こういう時に「波動が下がった」などと言い訳したりしますが、
逆因果モデルは違います。
降ってきたゴミに対して、
「この最悪な経験すらも、未来のあの場所に到達するための強力な肥やし(原酒)にしてやる」
と、本人の意思と知性で、力づくで正解に書き換えていく(意味づけする)。
 
つまり、最初から正解の選択肢があったわけではなく、
つかんでしまった泥でさえ、本人が泥臭く磨いて宝石に変えているのです。
 
「願えば叶う」が奇跡を待つ考え方だとすれば、
「天の布置」は、未来を先に決め、その未来に向かって脳を働かせ、勇気を持って行動し、起きた出来事すべてを未来の力に変えていく。
そういう生き方そのものだと思います。
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